ぼくたちの家族
僕が、尊敬するCDがブログで書いていて、
いまの自身の救われない気持ちが、少しでも安らげばという自分本位な気分で観た。
このブログの自主ルール。
誰が、どういう目的で、だれのために作ったか。
テーマは何か。の4つの要素で構成したい。
書いていて思うのが、「誰が」というのは、
監督そのものなのだけど、少しだけ超越して書かないといけないと前回気づいた。
2014年の映画であるが故、ひきこもり、ニート、中産階級の家庭崩壊、マイホームローンなど、日本が抱えている闇そのものが背景にある。
2014年なので3.11後であるのだが、その前も後も、実は変わらない日常を描いている。
テーマは、「下流化する社会の闇のなかでも、家族の顔を通じて、人びとは成長する。特に子供は、母親の喪失を通じて、大きくなる。父よりもずっと。」
目的は、あまりにもシェア的な共感社会、SNS社会でも、「家族が、人間の本来的な成長基盤であること」を伝えたいのだと思う。
かくいう、この映画は、全く、SNSが出てこない。
もちろん連絡手段としての電話とメールは、ケータイであるが、一切、インターネット的な価値観が無い。
そして前述のCDのブログにもあるように、表情だけが、物語の起伏を語るのだ。
すごく人間的。痛々しいリアル。
記憶障害を持つ母の言葉のピュア性は、心の闇を吐き出すようである。
母親が隠している借金は、この国全ての闇を表すようだ。
この映画は、絶望する日本の若者のために描いている。