マイインターン

このブログは、誰が、何の目的で、誰のために作ったか。テーマは何か。を構成として待つ。当然の様に、誰がは、常に作家になる。ということになってしまう。しかしながら、実は、そうでもない可能性を持っていたい。

とすると、そもそもこのブログの目的である、本質に迫ることからかけ離れ、複雑になってしまう。

こんなことを書くのは、化物語を、只今、絶賛見ているからだ…。以下、略。

 

話を元に戻す。

 

「マイインターン

 

ロバートデニーロは、父が好きな役者だ。

良い好々爺になったなぁ。

 

この映画は、アメリカらしくない。と思った、初見では。

と言うのは、「重ねた年月は、人生において、とても大切なことである。そして、愛とは、その年月か持つ一瞬、一瞬の手触りである。」をテーマにしている。

日本的のようだ。なぜなら、手触りの反対は、形を浅はかにする思考、つまり、経済であり、これは、アメリカにはない。というのが、私の偏見だと気づく。

アメリカ、新しい価値が全てではないという価値観を持っているのかと。

 

インターネットという発明によって、モノが簡単に届けられ、重ねた年月を、簡単に壊した。この映画にあるように、印刷会社はECサイトにぶっ壊された。若き美しい実業家によって。

 

しかし、その実業家にも、思いがある。

届けるモノは、受け手の喜びのためにあると、仕事をしている。

 

その新興企業で、年老いたセカンドライフを過ごす老人と、今まさに生きようとする若き人が出会い、互いが成長する物語。

インターンは年老いた老人であり、印刷会社の人間だった。実業家は、ECによって成功をしている若き美しき女性で、まさにその印刷会社が無くなった場所に企業を構える。

 

しかし、インターンの関係性は、少しづつ逆転し、年老いた老人が、バーチャルなCEOになり、人生の師になる。

 

これは、アメリカが、今の若き熱情は、年月とともに熟すこと、そしてそれはいつか陳腐になるということ、しかし、古びた表層の奥には、しっかりとした地盤があり、人々は、きちんと受け継ぐことが大切なんだとはっきりと伝えるという目的で、若い人のために、愛によって作られた。

これは、LOVEが決して異性に対してではなく

、神や神父が、隣人に対して待つ憐れみの気持ちである。すごく宗教的にアメリカらしい人たちのために作られたのであろう。

 

ダイレクトマーケティング関連の人、必見という触れ込みに、観たのだが、ただただアンハサウェイが可愛いだけの映画かよwと思ったのも事実である。

 

全くの逆で構成されているが、プラダを着た悪魔に、遠からず。